健康ってなんだろう うつになって気づいたこと

抑うつ状態になった経験から、気づいたことを共有させていただきたいと思います

うつが治るということ

最近、どういう状態になれば治ったとなるのだろうかと考えてしまいます。

 

私は医者ではありませんので、治る治らないを判断する立場でないと思っています。それでも、自分ことですから、少なくともゴールがどこにあるのか知りたくなります。最近は体調がいいので、なおさらそう思うのかもしれませんね。

 

とはいえ、うんうん悩んでいても仕方ありません。今回は、治る、ということについて私の考えを共有させていただきたいと思います。

 

まず、治るとは何なのか。上記の悩みは、どうも治る治らないの境目を気にしていることから生まれているように感じます。治らない状態から治る状態に移る瞬間はどこなのか。ジェットコースターの最初の下りはどこかまだか、と似ているような気がします。

 

そこで、もっと時系列を未来に飛ばして五年後を考えてみます。治っているかな、治っていればいいな。ここでは、治っていると想定します。そのとき、私はどのような生活を送っているでしょうか。

 

日常生活を送れるということ。朝に目が覚めて起き上がり、ご飯を食べて、仕事に行く。家族との会話もあるでしょう。会社では仕事をし、夕方に帰ってくる。家族みんなで夜ご飯を食べます。休日は家族で買い物にいくことでしょう。個人的な趣味の時間もほしいものです。夫婦の実家に帰省することもあるはずです。できれば楽しく過ごしたいですね。読書は続けたいものです。平日の夜にも読みたいし、休みの日も読みたい。ブログは続いているでしょうか。それはわかりません。病気が治ったら書くことがないので、やめているかもしれませんね。

 

こうしてみると、治るという状態が見えてきました。というか、もし治る治らないの境界線があり二分割された領域があるのなら、上記の五年後の状態が存在する側の領域に居たい。そこに居ることが自分、周囲の人、医者の全員が納得しさえすれば、それは治った、と私は周りに言えると思うのです。

 

そのように考えると、境界線は必要ありませんでした。目指すべき方向は決まっています。というより、知っています。

 

あとは、そうなれるように、日々、小さなことから積み重ねるのです。

 

夜にしっかり眠れて、朝に目が覚めて起き上がれるだけで私は十分です。朝の支度をして外に出ることができれば、なお良いことです。このように文章を書いて、本を読んで、集中できるのならば、もっともっと良いことです。家事をして、家族と楽しく話し、友人など他の方たちとも楽しめる。素晴らしいことだと思います。

 

診察に行って、薬をもらって、家に帰ってくる。それだけでも、ゴールの一部を達成しています。外を散歩して日の光を浴びて心地よいと感じる。これもゴールに繋がる道のりに思えます。朝、ゴミを捨てに行く。十分過ぎるくらい、日常生活です。

 

と考えると、もう、ほとんどできているのではないか、と思うようになります。それでも治療中なのはなぜだろう。どうして治療は続くのだろう。

 

それはわかりません。おそらく、再発の懸念。良い状態がどの程度安定しているのか、時間を取って観察しているのだと思います。お医者さんに聞いてみるのがいいですね。

 

この病気は長い時間をかけて作られたものです。それは日常生活を崩すくらい影響が大きいものと言えると思います。少なくとも私は、重大な病気だと思っています。

 

そして、その分、治るまでに時間がかかるのだろうと私は考えています。そして、焦って境界線をまたいでいる状態で復帰したときに、再発の可能性が高くなるのではと懸念しています。

 

私は再発をしたくありません。ゴールも見えています。そして、自由に過ごす時間があります。こうした恵まれた環境の中で、先を見据えて、いまできることやしたいことに取り組んでいます。

 

そのうち、ふと足元と後方に目を向けたとき、治ったといわれる領域に両足とも入っているのかな。そうであればいいのですが、まだ治ったことがありませんので、はっきりしたことは言えません。ただ、気持ちは楽に、毎日過ごせています。治るかどうかという心配はあるものの、それはそれだと別問題だと考えています。

 

皆さんにとってこの記事がお役に立てましたら幸いです。