健康ってなんだろう うつになって気づいたこと

抑うつ状態になった経験から、気づいたことを共有させていただきたいと思います

家に居ることが好きになってきました

あなたは休みの日に家に居ることが好きでしょうか?

 

私は休みの日には朝から外出していました。車で街に出かけて、買い物をしたり映画を観たり、美味しいものを食べたり。それはとても心地の良い経験でした。いまでもそう思います。

 

ただ、休みはじめた当初、身体が重くて、外出したいなんて思いませんでした。徐々に体力が回復して外に出ることが出来るようになり、映画館や喫茶店に通うようになりました。

 

毎日休んでいると時間があります。言葉はわるいですが、暇なのです。何をしようか困ります。ですので、映画館やビデオ屋さん、喫茶店など、思い立ったらすぐに向かいました。そして、入り浸るようにして毎日を過ごしたのです。

 

とはいえ、過ぎたるは及ばざるがごとし。疲れてしまいました。そうしたことを幾度か繰り返す度に、別の記事で書いた生活リズムを意識し始めたのです。

 

そうすると、日々の行動、何に時間を使っているのかについて意識するようになりました。そして、その行動はしたいことなのだろうか、納得したことなのだろうか、と考え出しました。

 

その結果、自分のしたいことの大半は、一人で家に居ながらできることであることに気がつきました。最初は半信半疑で色々なことを試していたのですが、今ではすっかり気持ちがよくなり、家に居ることが大好きになりました。

 

この記事では、この経験について私の考えを述べさせていただきたいと思います。

 

なぜ、喫茶店等に通うようになったのでしょうか。他にすることがなかったから。外の世界と関わりを持ちたかったから。そもそも喫茶店にいくことが新鮮だったから。

 

全て当てはまります。正解です。

 

でも、それをずっと続けることができなかった。疑問を持ってしまった。なぜでしょうか。好きなら、ずーっと続ければそれで満足だろうに。

 

それほどしたいことではなかったのでしょう。いまならわかります。喫茶店の雰囲気は好きです。映画館の迫力も好きです。映画のストーリーも色々あって好きです。

 

でもそれは何が何でも好き、というほどではないのだと私は気づきました。もちろん、それらのように、好きなことを発見できたことは、とても大きな収穫です。気分転換にぴったりなのです。でも、毎日熱中できるほどのものじゃなかった。

 

じゃあ、自分は何がしたいのだろうか。考えてもよくわかりませんでした。それなら、気づいたことを何でもやってみようと思いました。

 

それが、家事なのです。今では掃除や洗濯、片づけ、家庭菜園が好きです。そして、自分の家をかけがえのないもの、家族にとって大切なものなのだと感じています。

 

そして、こうして文章を書いている時間も楽しいです。書くことが好きなのかもしれません。本を読んだり、考え事をすることが好きなのかしれません。このブログのように披露できること、私の場合は病気の経験があり治る兆しがあって、それは同じ悩みを持っている方にとって助けになるかもしれないこと。それがとてもうれしいのです。

 

そのように思い至ると、私の好きなこととはいったい何なのでしょうか。

 

まずは家族でしょう。家族にとって家は大事なところです。日々の生活もとても大切です。それらを丁寧に、大切に扱いたい。それができれば十分です。

 

家や家庭は、毎日帰りたくなるところであればそれでいいと思うようになりました。

 

考え事をすることも私にとっては大切なことです。その対象は、自分のこと、家族のこと、世の中のこと、この病気のこと。それはその時々です。考えることの何が楽しいのか、実は私にもはっきりとはわかっていないのですが、どうしても、大切にしなくてはならないように感じるのです。そして幸運なことに、大切にすることができます。

 

考えた結果を披露することができる。そういう場がこのブログです。ささやかですが、今の私には十分です。そして、その考えがどなたかの役に立つのなら、それはとても嬉しいことなのです。書いてみて良かったと思うのです。

 

家族を大事にすること、考え事を大切にすること。それらが自分にとって重要なことだと気づいてから、家に居る時間がとてもいとおしく、ありがたいものになりました。これは、休む前には思いもよらなかった、とてもうれしい変化です。

 

休む前は、やることをぎゅうぎゅうに詰め込んでいました。何かに追い立てられるように、と言えば大げさですが、切迫感というか焦りがあったのかもしれません。いま思えば、どうしてそうだったのか、不思議なくらいです。

 

私は上記のような過程を経ました。そして今では気持ちよく暮らしています。この経験のお話が、皆さんの役に立ちましたら幸いです。

自分の傾向について

自分の性格や傾向について、皆さんはどの程度把握しているでしょうか?

 

私は休む前、それらのことをあまり考えたことがありませんでした。小さい頃から、字が下手で宿題もしなかったため、面倒くさがりで、パパッと終わらせたがる。怒ることは少なく、穏やかっていうくらい。

 

主に性格についてですね。ただ、別の記事に書いた生活リズムについて、色々試すうちに気がついたのですが、行動特性というか、こうやるほうが自分には向いているぞ、ということが分かってきました。

 

この記事ではそのあたりの気づきについて、私の考えをご紹介したいと思います。

 

まず、上記の私の性格について。性格というよりは、周りから何かの刺激を受けたときの反応の仕方、と言えると思います。小学校や塾では授業がありテストがあり宿題がある。やらないといけないけどめんどくさい。パパッと終わらせる。周りの何かがムカついたとき、すぐに気持ちを静めることができる。

 

これって受け身の反応だなあと思うのです。

 

そして、最近私が気づいた行動特性というのは、どちらかという自発的な、こうすればもっと良くなる、というものです。

 

たとえば、勉強をするとき。専門書が一冊あるとします。私はノートを取ることが苦手で文字を書いても後で読みづらいです。しかも全部覚えようとするのですが、その一方で、長い日数を継続することができません。難儀なものです。

 

テレビで紹介された東大生か京大生の勉強方法は毎日コツコツ続けること、と昔に観たことがあり、そりゃそうだと感心したことがありました。休む前は時間がないことにかまけて勉強をしていなかったのですが、今は時間がありますのでそのようにコツコツ型の勉強を試した結果、自分にはしんどいことに気がついたのです。

 

そこで私は作戦を変えました。三日で終わらせようとしたのです。たとえば200ページある場合は、一日70ページを目標にします。ノートに気づいたことや象徴的な単語だけ、あとで読み返した方がよさそうなことを選んでメモしました。他の細かな場合分けや条件はケータイの写真に撮っておいてパソコンにデータを移して保管しています。

 

記憶はパソコンに任せて、自分はできるだけ面白そうな点、他の出来事との共通性を見つけることに集中しました。それは印象を残しておいて、細かなことは必要になったら思い出そう作戦です。

 

また、モチベーションを高めるために、ある本を読みはじめる前や次の章に入るとき、これを知ることでどういう良いことがあるのかな、楽しいことがあればいいな、と考える時間を一分確保するように心がけています。

 

で、三日で終わらせる。四日でも五日でも構いませんが、とにかく目標を立てる。そしてそれができたらよくやったなあ、とうれしくなります。もし五日かかっても、読み切ったことに達成感を覚えます。そして、次の日からは新しい本で勉強を始めるのです。

 

これらのことは、私の行動特性といえるのでは、と最近気づきました。おそらく、一気にやって、ガーッと終わらせる方が向いているのでしょう。

 

小さい頃のエピソードに、戦隊シリーズの変形ロボで遊ぶとき、ガチャガチャガチャといじくりまわして、変形させた後はポイッとほったらかしにして、別の遊びをしていたと、親から聞いたことがありました。その話をふと思い出して、なるほどなあと思ったのです。

 

ならば、一気にガーッと終わらせよう。その作戦でしばらくは勉強も家事も続けていくつもりです。いまは機嫌よく実践できています。

 

一方、生活リズムや強弱のバランスは必要です。日常生活を見失わない程度に、気をつけたいものです。

 

いま思えば、休む前は私にとって仕事量が多く、ずっとのめり込むように仕事に集中していました。そしてある区切りで力尽きたのか、ある時から仕事に集中できなくなりました。これも、ガーッと集中することの悪い面が出たということなのかもしれません。

 

そういう反省も踏まえて、生活のリズムを整えていきたいと考えています。こうした私の発見が、皆さんの参考になりましたらうれしいかぎりです。

うつが治るということ

最近、どういう状態になれば治ったとなるのだろうかと考えてしまいます。

 

私は医者ではありませんので、治る治らないを判断する立場でないと思っています。それでも、自分ことですから、少なくともゴールがどこにあるのか知りたくなります。最近は体調がいいので、なおさらそう思うのかもしれませんね。

 

とはいえ、うんうん悩んでいても仕方ありません。今回は、治る、ということについて私の考えを共有させていただきたいと思います。

 

まず、治るとは何なのか。上記の悩みは、どうも治る治らないの境目を気にしていることから生まれているように感じます。治らない状態から治る状態に移る瞬間はどこなのか。ジェットコースターの最初の下りはどこかまだか、と似ているような気がします。

 

そこで、もっと時系列を未来に飛ばして五年後を考えてみます。治っているかな、治っていればいいな。ここでは、治っていると想定します。そのとき、私はどのような生活を送っているでしょうか。

 

日常生活を送れるということ。朝に目が覚めて起き上がり、ご飯を食べて、仕事に行く。家族との会話もあるでしょう。会社では仕事をし、夕方に帰ってくる。家族みんなで夜ご飯を食べます。休日は家族で買い物にいくことでしょう。個人的な趣味の時間もほしいものです。夫婦の実家に帰省することもあるはずです。できれば楽しく過ごしたいですね。読書は続けたいものです。平日の夜にも読みたいし、休みの日も読みたい。ブログは続いているでしょうか。それはわかりません。病気が治ったら書くことがないので、やめているかもしれませんね。

 

こうしてみると、治るという状態が見えてきました。というか、もし治る治らないの境界線があり二分割された領域があるのなら、上記の五年後の状態が存在する側の領域に居たい。そこに居ることが自分、周囲の人、医者の全員が納得しさえすれば、それは治った、と私は周りに言えると思うのです。

 

そのように考えると、境界線は必要ありませんでした。目指すべき方向は決まっています。というより、知っています。

 

あとは、そうなれるように、日々、小さなことから積み重ねるのです。

 

夜にしっかり眠れて、朝に目が覚めて起き上がれるだけで私は十分です。朝の支度をして外に出ることができれば、なお良いことです。このように文章を書いて、本を読んで、集中できるのならば、もっともっと良いことです。家事をして、家族と楽しく話し、友人など他の方たちとも楽しめる。素晴らしいことだと思います。

 

診察に行って、薬をもらって、家に帰ってくる。それだけでも、ゴールの一部を達成しています。外を散歩して日の光を浴びて心地よいと感じる。これもゴールに繋がる道のりに思えます。朝、ゴミを捨てに行く。十分過ぎるくらい、日常生活です。

 

と考えると、もう、ほとんどできているのではないか、と思うようになります。それでも治療中なのはなぜだろう。どうして治療は続くのだろう。

 

それはわかりません。おそらく、再発の懸念。良い状態がどの程度安定しているのか、時間を取って観察しているのだと思います。お医者さんに聞いてみるのがいいですね。

 

この病気は長い時間をかけて作られたものです。それは日常生活を崩すくらい影響が大きいものと言えると思います。少なくとも私は、重大な病気だと思っています。

 

そして、その分、治るまでに時間がかかるのだろうと私は考えています。そして、焦って境界線をまたいでいる状態で復帰したときに、再発の可能性が高くなるのではと懸念しています。

 

私は再発をしたくありません。ゴールも見えています。そして、自由に過ごす時間があります。こうした恵まれた環境の中で、先を見据えて、いまできることやしたいことに取り組んでいます。

 

そのうち、ふと足元と後方に目を向けたとき、治ったといわれる領域に両足とも入っているのかな。そうであればいいのですが、まだ治ったことがありませんので、はっきりしたことは言えません。ただ、気持ちは楽に、毎日過ごせています。治るかどうかという心配はあるものの、それはそれだと別問題だと考えています。

 

皆さんにとってこの記事がお役に立てましたら幸いです。

生活リズムの作り方

皆さんは、日々の生活をどのように過ごしているでしょうか。分単位まで計画してコントロールする。その日の気分で好きなことをする。色々な形があると思います。

 

私は休む前、どのようにその日を過ごそうか、と考えていませんでした。というのも、朝出社する時間が決まっており、帰ってくる時間も夜遅くで、家に帰ってもご飯を食べて寝るだけ。土日もどちらか出勤ということが多かったものですから、計画も何もする必要がありませんでした。

 

これでは主導権がありませんよね。いま思うと、よくそんな生活を続けたなあと感心するのですが、今後はそういう事態に陥らないようにしたい、もうこりごりです。

 

そうした反省を踏まえて、生活リズムについて、私の考えと気づきを共有させていただきたいと思います。

 

まず、リズムとは何でしょうか。ある本を読んだところ、どんな物事にもリズムが存在するらしい。そして人は、そのリズムに同調する性質があるらしい。

 

例えば、街中を歩くと、ついつい早足になります。また、車の運転中、窓を開けると気持ちがいい。これも自分以外のリズムに合わせて、気づかないうちに行動が変わったり、時には新鮮で心地よく感じるらしい。

 

すみません、詳しいところは私も理解していません。ただ、リズムは存在するということは実感として納得しました。

 

生活の中でも、やることをぎゅうぎゅう詰めにしてテキパキ動く人もいれば、できるだけゆったりと余裕を持って過ごす人もいる。色々な人がいるように、色々なリズムがあり、それは自分で作ったり、ある程度、意識的にコントロールできるものだそうです。

 

おそらく、皆さんも、リズムをコントロールしているはずです。

 

朝の家事や支度はテキパキやる。難しい仕事に取り組む時間を確保して集中的に没頭する。テレビを見ながらゆっくり食事をする。スポーツをしたり観戦したりして緊張と興奮を感じる。お風呂に浸かって温まる。お布団に入って、目を閉じて静かにして眠る。

 

さて、このリズムが病気とどのように関連しているのか。私は、休む前はリズムが早すぎた、または、早い状態が長く続いたから病気になったと考えています。

 

休んだ当初、毎日寝ていたら体力が回復しました。あれほどしんどかったのに、とびっくりしました。このことから、ゆったり過ごすと体力が回復するといえると思います。

 

スポーツジムに通ったり読書をする。そうすると身体は疲れます。活動をすると何かを得る反面、身体は疲れます。

 

私は、それらのバランスが大事なのではないかと気づきました。

 

別の記事で、休む当初はおもいっきり休みましょうと書きました。まずはリズムを静かな、アップダウンの少ない生活にして、体力回復を待つのです。

 

そして、回復してきたら、アップの時間を少しずつ増やしましょう。私は復帰への焦りから、アップの時間を急激に増やしすぎました。だけど、このミスのおかげで、リズムの大切さを知ることができました。なので、皆さんも、自分がやりたいだけアップしても良いと思います。もしダウンしたら、またリズムを落として回復すれば良いのです。

 

そうして回復傾向に入っている今、とても効果があってよかったなあと感じていることがあります。

 

それは、一日のなかで何を大事にするのか、優先順位をつけることです。

 

優先順位というと仕事っぽく見えますね。でも、一日の中で、何を大事にし、何を後回しにするか。それは大切な感覚だと思います。

 

私は休む直前、睡眠がとれなくなっていました。夜になっても全く眠くなく、布団に入っても目はぱっちり。そして、まばたきをするように、一瞬で一時間が過ぎました。それを、例えば六時間睡眠なら六回繰り返して朝を迎えました。そのうち身体が疲れて、日中の仕事に支障をきたしました。

 

私にとって、一日の中で何を大事にするのか。それは睡眠でした。夜中に覚醒することなく、眠ること。それが目標でした。

 

皆さんも、それぞれ異なる症状をお持ちだと思います。まずはそのなかで一つピックアップして、改善する工夫を試みてはいかがでしょうか。

 

一日24時間のうち、費やす時間や回数が多いものに重点を置くという考え方も良いと思います。

 

私は睡眠が改善してきた頃、食事に注目しました。一日三回という回数の多さと、食事が美味しいとうれしいということ、そして何より、食べたものが身体を作るという事実を、健康に関する本を読んで再認識したからです。

 

睡眠や食事に関して、私の対処法をご紹介します。

 

睡眠では、夜にお風呂に浸かることを日課にしました。元々温泉が好きだし、体温が低くかったため、温まるといいことあるかも、と考えました。入浴剤を入れます。

 

布団に入って目を閉じると、色々な考えが巡っていることに気づきました。ぐるぐる考え出したら止まりません。そうすると眠れませんでした。

 

そのため、夜はノートに考えていることを書き出し、すっきりしたと納得してからお布団に入るようにしました。今ではそのノートは不要になるくらい、睡眠は改善しています。ノートの代わりに、日記帳と、やることを思いついたら手帳に書いて、毎夜、日記帳の各日付の欄の端に書き写し、数日分の予定を確認しています。そうすることで用事を忘れることもなく、安心して眠れます。

 

また、朝起きるとき、着替えたり、出かける準備をすることを面倒に感じていることに気づきました。そのため、前夜に、翌日着る服を布団のそばに用意して、鞄の中身も揃えておくようにしました。これによって、朝の支度に余裕が生まれました。

 

寝つきがいいときもあれば、悪いときもあります。理由はよくわかりませんでしたが、眠くなっていないのに布団に入っていたことに気づきました。そのため、眠くなるように、リラックスできるように心がけました。

 

お風呂に入った後はテレビやケータイを極力見ない。本を読まない。電気を橙色にする。ソファに座ってゆっくり過ごす。お風呂にあがってから布団に入るまで、できれば一時間、少なくとも三十分は体温を下げるために確保する。しかし、それではあまりにも暇のため、日記やメモの転記をその時間に行なっています。

 

食事では、自分で作ると意外と美味しいことに気づきました。レシピを見て、できそうな料理にチャレンジします。最初は材料費の高さを無視して、ご飯を作る楽しさを優先しました。

 

料理本のレシピを一周すると、次は安く、おいしく作ることを意識しました。といっても私の知っていることは限られています。妻の一緒に楽しく取り組んでいます。

 

また、玄米を食べるようにしました。おいしいものですね。風味が気に入りました。あと、動物性食品と砂糖は極力減らすように心がけていますが、なかなか実行できません。ほんとにおいしいです。美味しいと思っているうちは減らすと我慢になるし続かないと考えて(言い訳ですが)、朝と昼はそれらの量を減らして、夜は許可する。そんなことを今は試しています。

 

私の予想ですが、チョコレートは今後数年はやめられないと思います。昔から板チョコが大好きです。これほど好きなものがあることは喜ばしいことなんだと納得して(言い訳ですかね)、いまは食べてもOKということにしています。

 

上記のように、私の場合は、まずは睡眠から自分の生活を作っていき、食事を改善しています。そして、最近では読書や家事についても、それらのリズムと調和するように、影響を考慮して、取組みを増やしているところです。

 

振返ってみて効果的だったと思うポイントは、睡眠に絞ったこと。睡眠前後、つまり、就寝前と起きた後の行動や心理面に対処したこと。

 

今は24時間を丸々コントロールできてはいませんが、どうしようもない時間は3時間くらいです。他の時間は、自分のやりたいことにしっかり集中できています。

 

どうしようもない時間というのは、眠くなったり疲れたりする時間です。それは活動のし過ぎかもと考えて、いまは適度な休憩、頭や体への適度な負荷分散を試している一方、負荷をかけて成長する、ということもあるだろうし、そういう時間帯があっても良いのではないかとも考えています。

 

自分のやりたいことができる、というのはとても幸せなことですね。勉強をすればするほど、早く実践したくて仕事に戻りたくなりますし、いまこうして文章を書けることも楽しいです。

 

生活の主導権を握る、というとゴリゴリしていて私はちょっと遠慮したくなりますが、自分に合う生活を自分で作っていく、ということはとても大切なことだと思うのです。それは、自分の予測通りに動くことができるという自信と、病気を再発しないという安心感にもつながります。

 

自分で生活のリズムを作るためには、いま、という視点が大事です。いまの自分にあうかどうか。そして、今後の自分に合わせて変えていくものなのでしょう。

 

急がず、焦らず、一つずつ対処を積み重ねていけば、いつの間にか24時間に達して、それからは明日明後日と将来も見据えることができると思います。

 

自分の身体は自分のもの。いま、何か問題があるなら、それには理由があります。理由が分からずとも、それっぽいところから変えていきましょう。理屈は後からついてきます。この記事に書いたことは後から生まれた理屈です。それでいいと思います。その積み重ねが、今後の自分へのヒントになれば、この病気の経験を活かすことができます。

 

上記のように、自分の生活リズムを意識的に作ってみることをお勧めいたします。それは、そんなに難しいことでありません。ただ、時間がかかります。だからこそ、価値があると思うのです。手間がかかる分、愛着がわきます。それはモノでも人でも自分でも。この内容が皆さんのお役に立てましたら幸いです。

ブログに記事を書くということ

私はまだ治療中です。病気は治っていません。ただ、回復傾向にはあると思っています。日常生活を送れていますし、多少、勉強の負荷をかけても大丈夫です。

 

そうしたなか、どうして私が記事を書こうとしたのか。この記事では、私がブログを書く動機と思いを記載したいと思います。

 

そして、私は、皆さんが、皆さんの経験を何かしらの形で共有していただくことを提案したいのです。その思いについても記載します。

 

ブログを始める前はとても迷いました。私の経験や考えなんて、書く必要がないのではないか、書いたとしても低レベルな間違いを含むことを書くかもしれない。。。

 

まぁ、その通りだと思います。世の中にとっては、私が書かなくても困ることは起こりませんし、個人的なことを記載すると、世間一般からすれば低レベルなことももちろんあるでしょう。

 

それでも書こうとした理由。それは、この病気で苦しんでいる人がいる。私自身も回復傾向に入るまでとてもしんどかった。今苦しんでいる方のしんどさを、この記事を通していくらかでも和らげることができれば、と思いました。

 

私は休んですぐの頃、今の状況を何とかしたいと考えて、病気に関する情報をたくさん集めようとしました。藁にもすがる思いでした。ただ、ネットに載っている情報、検索上位に上がる情報は、どうしても一般的なことに終始し、私にぴったり当てはまる情報はありませんでした。

 

そうしたなか、多くの健康に関する本を読みました。それらの本のなかで共通する考え方や、根底は同じことを言っているなあ、と気づくことがありました。その気づきを日々の生活のなかで試していったのです。

 

色々試した結果、新しく気づくことが多々ありました。そして、それらを試します。

 

そうした経験を幾度か経て、ようやく、自分の身体のことをどのように大切にしていくか、自分の考えがまとまってきた頃、自然と、回復の兆しが見えてきたのです。

 

このような私の経験をブログという形で公開することによって、回復への道のりの一つの例として、病気を治したいと願っている方に読んでいただいた結果、自分もなんとかなりそうだ、というイメージを感じてもらえたらなあと思っています。

 

ところで、巷にあふれている情報は、うわべのものが多いと感じています。実際に病気になっていない人が書いたからなのかなとつい穿ってしまいます。

 

それらの根幹にある理論やデータは、病気への思いやりや理解のある人々が、学術的に、臨床的にまとめてくださったものなのでしょう。それは、多くの人々の時間と才能を積みかねた、とても貴重なものです。

 

ただ、問題は、二次加工、三次加工と、さらに読みやすく、要点のみを整理されていった情報です。それらはわかりやすい反面、ノウハウに見えてしまいます。その情報の根底には理屈と権威があるため、気をつけないと鵜呑みにしてしまいます。

 

上記で、私が色々な本を読み、気づきを得たというお話をしました。そうした本は、すべて、著者の実体験に基づいて書いてありました。だからこそ、著者の考えや理屈が生まれたきっかけ、根底にある思いを、その文章から読み取ることができました。そしてそれらを学ぶことによって、自分の生活に反映できたのです。

 

この経験から、私が回復に至った道のり、または、回復途上を実況中継することが、同じ病気を患っている方々にとって、とても有益な情報になるのではないかと考えました。しかし、それは私個人の、とても個人的な環境とめぐりあわせから生まれた考えにしかすぎません。それでも、それでも。いつか小さな役に立つかもしれない、たった一人の人にでも良い影響を与えるかもしれない。そんな思いで記事を書いています。そして、自分の考えを事細かに記載しています。お恥ずかしい内容なのですが。

 

このような理由で、記事をしたためております。こういう人もいるんだあ、と観察するように、気楽にブログを読んでいただければ幸いです。そして、この記事を通して、何かに気づいたり、回復への一助になりましたら、それはとても嬉しいことです。

 

一方で、内容への批判もあるでしょう。一般論でないことは重々承知しております。あくまでも私個人の、小さな経験を、しがない小さなスペースで吐露する。それを見守りいただけましたら幸いです。

 

また、皆さんの経験も、何かの形で表現し、共有していただけましたら、今後同じ病気に苦しむ方にとって、とても有益な情報になるのでないでしょうか。私からの提案になります。一度、考えていただけますと幸いです。

運動をしていますか

皆さんは運動を何かしていますか?または、何かを始めたでしょうか?

 

私は今は何も運動していません。休む前もしていませんでした。休んでから一ヶ月後に、最寄りの駅前のジムに通いました。が、三か月で辞めてしまいました。

 

運動は、しないよりもしたほうがよさそうなもの。多くの書籍にも、適度な運動は大事だよと書いてあります。

 

最近は、散歩を週に二度するようにしています。それが適度かどうか、私にはまだわかりません。なんとなく少ないように見えるけど、やってみると多いような気もする。

 

この記事では、運動の効用と考え方について、私の思うところをお話させていただきたいと思います。

 

さて、私のスポーツ経験は、野球とゴルフです。どちらもうまくありません、謙遜ではなくほんとに。そういうこともあってか、今は運動に乗り気じゃありません。

 

そんな私でも、仕事を休んで早く復帰したいと思うあまり、体力をつけようとジムに通いました。できれば毎日通おうとしました。

 

通い始めてから、どうもしんどい日としんどくない日があることに気づきました。それは身体だけでなく、気持ちの面で行きたくないだけの日があるのです。それが一ヶ月ほど続いたとき、良いと思って始めたことが逆にマイナスになるのなら意味がないな、と思って退会しました。

 

そして、いまは定期的に散歩をしています。買い物も歩き回れるようになりました。

 

いま振り返ると、当時の私にはトレーニングは早かったのだと思います。早く復帰したい一心で焦っていました。そして、その焦る気持ちと身体の実態が釣り合わず、ギャップに苦しんでいたのだと思います。退会した後は気持ちの面で余裕がでてきたのでしょうか、自分の体調について以前より把握しやすくなりました。

 

その後、回復をたどっているわけですが、何か運動をしなければ!と考えている方への良いヒントになればと思い、今の私ならどうするか、ということを下記に記載したいと思います。

 

当時の私は、買い物に出るのもしんどい、車の運転も長くできない状態でした。それでも、運動を続ければ身体が鍛えられ、それに伴い体力が向上すると考えたのです。

 

それは間違いだったと思っています。休むだけでも体力は回復します。それぐらい体力は落ちているとも言えます。少なくとも私は、今では、買い物に数時間出かけることができますし、車の運転も一時間以上できます。それでいて、昼間に眠くなりません。

 

そのため、もし、外に出るのもつらい、ふらふらする、という方は、トレーニングよりも、身体を休めることを優先したほうが良いと私は思います。当時の私のように、買い物も運転も思ったようにできない人間が、バイクを30分こぐだけでもとても疲れてしまいます。

 

ですので、日常生活を過ごせるくらいに体力が回復してから、運動を始めることをお勧めします。ただし、心理的なストレスはありますので、その発散として運動をしたい方はしたほうがいいでしょう。しかし、無理は禁物です。

 

今の私は散歩を始めて一ヶ月近くになります。駅ではできるだけ階段を使います。最近は、買い物に行くときに、車でなく歩くようにしようと考えています。これなら定期的に実践できますし。

 

一方で、もしそれでもしんどい場合は、晴れた日に外のベンチに座って日向ぼっこをするだけでも十分とも思っています。そして、それが外に出たり運動することへの気持ちよさ、ポジティブな思いへのきっかけになればいいな、と考えています。

 

とにかく、身体を休めることを優先しましょう。でも、試してみたかったら試した方がいいです。もし、だめそうなときは、、、躊躇することなく後戻りしましょう。回復を優先した生活からまた始めたらいいと私は思います。

 

医者との関係性

お医者さんとの相性。これは深遠な問題ですね。

 

緊急時には特に、そのドクターの力量によって、対応と結果の違いが表れるのでしょう。とはいえ、私は医療に関して何か言えるほど、知識と経験を持っていません。

 

この話題を取り上げた理由は、お医者さんと揉める患者がいるということです。誰が、とは知りませんが、そういう人がいるという話を複数人から最近聞いたのです。

 

そのことについて、私なりに考えたことをお話させていただきたいと思います。

 

いまの私は心療内科に通っています。最近、復職に向けたプログラムのため遠出をすることが多くなり、そのプログラムの提供先での病院でお世話になることにしました。そうした理由で主治医を変えたことになりますが、どちらの方に診ていただいても私を治すことはできると思います。といっても、そもそも私は治し方を知りませんし、そこはプロに頼るしか選択肢はありません。

 

この記事に書くことは、心療内科だから、ゆったり構えて治療に取り組むことができる、ある種の特別な状況だからこその話かもしれません。ですので、あくまで私にとっては、ということを書きますので、皆さんは気楽に読んでいただければと思います。

 

私は病気を治したい。本気で思っています。そして、医者は私の回復を手助けしてくれる人、と考えています。つまり、善の存在です。

 

診察では、自分の生活や日々の体調、感じ方を、恥ずかしい気持ちはあるのですが、正直に話しています。そして、処方された薬を言われた通りに飲みます。

 

診察中に気になったことは必ず質問します。といってもこちらは専門知識がありませんし、ある治療法や薬のほうがいいのでは、とは言えません。読書でちょっとかじった程度の知識を表に出さないように、あくまで教えてもらう立場として質問をします。

 

たとえば、症状の解説を受けたときは、そういう人って多いんですか、とか。回復の一般的傾向について自分の状況と異なると思ったときは、自分はこういう状態ですがそのうちそういう風になるんでしょうか、とか。薬については、身体にどれくらい残るかは気になるので訊きます。あと、眠気や身体の状態の変化についても、気になったことは、こういうことがあるんですけど、、、とそのまま話します。

 

自分の意見は無いときの方が多いですね。ただ、ポジティブかネガティブかどのように捉えているのかわかるように伝えることを心がけています。心療内科ですし、心理面は表に出します。ただ、良い悪いの判断は入れません。私にはわからないこと、と思っています。

 

私にはわからない、とは思っていますが、分からずに放置したくないとも思っています。そのため、診察で意識していることは、いま自分はどのような状態か、ということと、これからすることによってどのような効果と悪影響があるか、ということです。

 

自分はいま回復期のどの段階にいるのか。活動を強めたら体調が下がるんだけどそんなものなのか、回復傾向から外れていないか。

 

投薬によって、睡眠は崩れないか。もし薬を飲んで日中に眠気がある場合は、正直に話して相談します。薬が変わるときも、何か強さとかが違うんですか、と聞きます。

 

この2点を抑えれば、あとは分からなくてもいいと思っています。大事なことは、回復に向かっているということ。その方向性から逸れていないということです。

 

うつの場合は、生活リズムが影響している可能性が高い、と私は考えています。それはほかの病気でもそうかもしれませんが。。。

 

そのため、診察や投薬だけで治るとは考えていません。自分で体調を観察し、良くなるように生活習慣を試し、結果を見る。そして、診察のときには、素直に、今の状態と感情、そして、治療の解説と関連がありそうなら私の試行錯誤とこれからしようかなと思っていることについて話します。

 

それは相談しているような感覚です。相手は免許を持っている医者ですし、ましてや私は休職の身ですから医者の言うことは絶対でしょう。主は医者です。

 

しかし、私が主だとしたいのです。振り返ると、休みはじめた当初は気力もなく従になりますが、回復してきた今は、治った後の生活を考えると主に戻りたいです。

 

自分で自分の面倒を見たいという気持ちがあります。治すのは私自身だと思っています。医者の管轄に置かれているのは、緊急対応だからです。基本的には指示に従います。ただ、そのなかでも、自分の考えや不安、分からないことを解消したい。ほったらかしで、治ることをただひたすら願うのはなんだか嫌です。

 

だからこそ、医者との関係性において、バランスを取りたいのです。お医者さんのいうことを何でもきく、その通りにすることは相手がプロなのだから当然でしょう。でも、自分の体調のことは自分にしかわかりません。それをお医者さんに発信して見解をうかがう。そして自分も納得する。おそらく、お医者さんの方でも安心するでしょう。治そうとする意志がみえるので。私としても自分の体調については発信しますが、判断は発信しません。言うとしても意見です。でも、医者に決めてもらうのではなく、双方合意の上で進めたいものです。

 

私の考えは甘いのかもしれません。恵まれた環境にいるのかもしれません。ただ、お医者さんとの関係性について、ちょうど機会があったため考えてみました。そうすると、もっと積極的に、貴重な診察の時間を活かそうと前向きになりました。

 

自分の体調について、お互いの認識が異なると、治療法やその効果について納得がいかないことが起きるのかもしれませんね。自分への注意点として、心しておきます。